教員紹介

人間環境学部教員コラム vol.159

2014.10.30 現代コミュニケーション学科 デニス J.ノーラン

自分の哲学を築こう!何のために大学に入るのか?

私は労働者の息子だ。父は孤児同等で育てられ、9歳にして働きに出なくてはならなかった。1914年生まれの父は、世界大恐慌があった時に成人した。第2次世界大戦後には、家族を支えるために2つの職を持つ必要があった。朝6:30に出勤し、夕方5:30に帰宅し、40分程度家族と一緒に夕食をとり、またマンハッタンの中心街に戻った。今度はブロードウェイ劇場で雑用係的に働いた。地下鉄でクイーンズ区にある住まいに帰ってくるのが、夜の12時だった。私はずっとその父の背中を見て育った。

 

私が14歳になると母は、仕事に出て父が勤めたMetLifeの正社員になり、何とかして家計をより安定させようと努力した。かなり自然な知性に恵まれた父母だったが、3人の子供を育てるために勤勉に働いた。しかしながら、小市民的生活を営むのがやっとだった。

 

高等学校を卒業し、大学志願の際、両親を見てきた私は社会において、これになろうか、あれになろうかというような希望は胸にわいてこなかった。反応を示さない社会秩序において大学で何を目的にすれば良いかという課題に対する解答は、優柔不断なく簡単だった。知識を高めること以外、大学から何も求めようと思わなかった。決して企業に就職するため、または、職業訓練的な教育を求めようとしなかった。古代ギリシャのデルポイの神殿に刻まれた『汝自身を知れ』という言葉を目標にした。出来るだけ自分自身で考えられるよう思考能力を高め、心にあることを相手に伝えられるように努めるようと、後は計算せず自然に任せよう。私はこの見解に確定的な自信を持っていた。

 

現在では私が人生を注いだ人文科学的な分野が流行らなくなってきた。文学・哲学・思想学・歴史学などに進むと何もならないと一般的に見られている。今夏、アメリカで会った大金持ちのビジネスマンは、これらの分野で得る資格は応用できるノウハウを伴わないので無意味な資格と評価した。しかし人は、競争・戦争・自然、および、人間の健康を破壊することでしか走らない社会のちっぽけな歯車になる運命を肯定的に受け入れる前に考えることがあるではないか。市場における有能性と合理性、又は私利追求が優先的な価値観になった現在の世界で、人と人との絆がほぐされ、結びにくくなってきた。大学で学ぶあなた方はこの4年間で物事の根底にある真実を探し出し、批評的思考能力を身につけ、自分を生まれ育てた社会に対する批評眼を持ってそれへと取り組むべきではないかと思う。

 

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食料の確保においても独立を目指す著者

 

 

デニス J.ノーラン(現代コミュニケーション学科)

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