教員紹介

人間環境学部教員コラム vol.146

2014.04.17 人間環境デザイン学科 杉田 正樹

雪の箱根でゼミ合宿

1月の末、ゼミ合宿で箱根に行った。

 

 

小田原に集合して、それぞれに課題を出した。「運命」「純粋」「崇高」「なぐさめ」「もの」「無意味」「深淵」、などと書いた紙切れを渡し、それに相応しい写真を撮るように、というのである。

 

 

学生たちは、一様に当惑顔である。しかし、ひとり、「もの」という課題が当たった学生は、「これは楽勝ですねえ。何でもモノですから」、と言う。

 

 

「そうかな。何でもモノだから、かえって難しいかも知れないよ。」「はあ…?」「白馬は馬ではない、っていう議論もあるくらいだから。」「はて…?」「花は花であってモノじゃないかも知れないじゃないか。」「でも、人物は人物っていうくらいだからモノでしょう。」「さあ、どうかな。君はモノかい?」「うーん。死んだらモノになるんですかねえ。」「生きてる君を他のものから区別するものはなんだい?」「先生、それもモノですか?」「さて…、モノかねえ…。」
などと、混んでいる登山電車で問答をしているうちに、彫刻の森美術館に着いた。

 

 

今回は、こことポーラ美術館を訪ねて、「芸術作品とは何か?」について考えることにしていたのである。初日は、彫刻の森でくたびれたので宿に行った。

 

 

さて、以下の作品は、課題に対する学生諸君の答えの一部である。苦心の作だが、ほとんど意味不明である。

 

 

(なぐさめ) (深淵) (無意味)
(運命、3枚一組)
(もの) (純粋)

 

 

「慰め」は、後ろの彫像のマネをしているのだが、このバカバカしさを見ると、人は慰められるだろう、ということらしい。
「深淵」は、深い水底から光を見上げているところだそうだ。
「無意味」は、説明不要とのことである。
「運命」3枚組は、運命を掴もうとするも、挫折して涙を流すが、再挑戦して地位を得たところだという。地位=椅子そのものがガッツポーズをして何だ、と思ったが、案外真理を突いているのかも知れない。
「もの」は、雪上の不可解な巨大金属球が、不可解であるが故に単なるものに成りきっているというのが言い分である。ものは、要するになんだか分からないもののようである。なるほど。
「純粋」は、プラスチックの巨大な構築物のなかで、子どもたちが夢中で遊んでいるのが純粋だという。(拡大してご覧になれば分かるかも知れない。))

 

 

宿では、温泉と食事以外は、実にお勉強だけであった。証拠写真がこれである。KJ法をやった。みな真剣に考え込んでいるように見える。

 

 

 

 

議論は深更におよび、翌日、くたびれた頭でポーラ美術館に行った。一面雪であった。

 

 

さて、白い霧が段々濃くなってきた。この日開通したばかりのロープウェーに乗っても、この霧では何も見えないだろうと思われた。
しかし、見えないなら見えない富士山を見ようと、哲学的覚悟を固めて、ロープウェーに乗り込んだ。全員の覚悟は堅固で、心眼をしっかり見開いたのだが、はたして何も見えなかった。霧の中を行くゴンドラは、動いているのかどうかさえ、定かではなかった。

 

 

富士山を一望できるはずの姥子駅で下車し、ラーメンと、死ぬまで生きるというありがたい長寿温泉卵を食べても、富士山は一向に見えそうになかった。

 

 

イギリスの経験論者ヒュームなら、このとき富士山は存在しない、と言いそうである。名うての、しかし愛すべき懐疑論者である。

 

 

自分たちのことは棚に上げて、「何も見えないのに、物好きが沢山いるものだなあ」、などと評しながら、また、真っ白な霧の中を戻った。

 

 

学生諸君も私も、箱根の霧を大事に頭に充満させて、合宿を終了したのであった。

 

 

杉田 正樹(人間環境デザイン学科)

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